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子宮筋腫で子宮と左の卵巣を摘出 手術前日から退院までの記録

 

お見舞い

わたしは、28歳の時にチョコレート嚢胞の手術を受けましたが、その後、再発し2度目の手術をすることになりました。

1回目の手術は、チョコレート嚢胞だけを取る手術でしたが、2回目の手術は子宮と左の卵巣を取るという手術です。

2度目の手術は、前回の手術とは比べものにならないくらい苦しい手術でした。

それは、手術で出血量が多く、ヘモグロビンが6.3mg/dlという重度の貧血になったからです。生きているのが、息をするのがやっとの状態でした。

 

この記事から見た方は、内容がよくわからないかもしれませんね。これまでの病気の経過については、こちらの記事を先に読んでくださいね。

これまでの経過についての記事はこちら ⇩

突然の激しい激しい下腹部痛の原因はチョコレート嚢胞だった

チョコレート嚢胞の再発と子宮筋腫 貧血で日常生活がままならない状態に

 

参考記事 ⇩

私が3度の手術を経て子宮・卵巣とサヨナラしたお話

入院した日(手術の前日)

心電図検査を受けている男性

入院したのは、手術の前日です。

入院してからレントゲン、採血、心電図の検査がありました。

そして、剃毛も・・・。

麻酔科の先生からは麻酔についての説明があり、その話を聞いて手術のイメージがわきました。

そうなのか~って感じ。

 

検査があったり、何となくバタバタしていましたが、それ以外の時間は持って行った漫画本を読んでいました。

結構自由な時間があるので、 漫画本や本を持って行って正解でした。

ちなみに持って行った漫画は何だと思いますか?

 

 

デスノートです

 

夕方には手術室の看護師さんが「明日担当する看護師です」と部屋に挨拶にきてくれました。

笑顔で声をかけてもらいとっても安心しました。そんな心遣いが嬉しかったな。

このサービス?いいと思いません?

わたしはいいと思います。

 

夕食はコーンスープとジュースでした。味は・・・😢

消化のいいものだからでしょうか?

一口飲んだだけで、ごちそうさましました。

 

食いしん坊のわたしは食べることが大好きだけど仕方ありません😢

その後、浣腸されてトイレに駆け込み・・・スッキリ。

 

その日は夜寝る時、お腹に手を当てて子宮にバイバイをしました。

あなたのおかげで子どもたちに会えたよ。本当はわたしが死ぬまで一緒にいたかったけどそれは無理みたい。長い間、お疲れ様

 

子宮を摘出するということに寂しい気持ちはありましたが、意外にあっさりした気持ちでした。

それは、きっと子どもを産んだ後だったのもあると思います。

 

それより、それまでの不調の方が辛かったのでその辛さから解放されるという気持ちの方が強かったな。

「子宮がなくなることは女性ではなくなるということ」という喪失感を感じる人も多いのですが、わたしはそういう気持ちにはならず意外にサバサバしていました。

 

その日はたまたま4人部屋を一人で使用することができました。おばけもでなかったし、一人でゆっくり眠ることができました。

手術当日

当日の朝

朝、術衣に着替え、足には血栓予防のための弾性ストッキングを着用。

履いたことある人はわかると思いますが、白いタイツみたいな感じです。なかなか履くのが大変な、キツキツのストッキングです。

 

朝7時ころ看護師さんがきて緊張を和らげる薬を服用して、なんだかほわ~んとしてきて・・・。

手術室の前まで、車椅子で行きました。家族が送ってくれました。

手術で死ぬかもしれないという深刻さはありませんでしたが、何が起こるかわかりませんし、あの手術室の前の別れってなんだかじ~んとくるものです。

うっすら涙がうかんできました。

 

手術室の中へ

手術室に入ったら、昨日部屋に来てくれた看護師さんが声をかけてくれました。

昨日顔を見たばかりの看護師さんですが、知っている顔が待っていてくれるのは安心しますね。心強い気持ちです。

 

最初は点滴をしました。

そして横向きに寝て背中に硬膜外カテーテルを入れるための麻酔をします。

それは思ったより痛くありません。硬膜外カテーテルは2回目でうまくいきました。

硬膜外麻酔

その後、仰向けになり点滴のルートから、眠るための薬を入れます。

看護師さんが「さあ薬を入れますよ。眠くなりますよ」の、

なりますよの時にはもうとろ~んとしてとっても気持ちよくて眠りに落ちていました。

経験した人はわかると思いますが眠りに落ちる瞬間って超気持ちイイです!

それだけ血液は何秒かで全身をかけ巡っているのです。

 

地獄の夜

「・・わりましたよ」「終わりましたよ」と遠くで声がして起こされました。

何となくぼんやりしていてよくわかりませんでしたが、その時、喉の管を抜かれたような気がしました。

そうだったのかはわかりませんが、そんな気がしたのです。

あれ、さっき手術室に入ったのに、もう終わったの?」そんな感覚です。

何時間も経っているのに、それがついさっきのような不思議な感覚。

 

朝の9時ころ手術室に入り、部屋に帰ってきたのは14時半。

手術前の麻酔に1時間、手術に3時間の計4時間の予定でしたが、実際にかかった時間は5.5時間。

長引いたんですね。

そこからが地獄でした。

痰が絡む

吐き気

身の置きどころがない苦しさ

息をするのがやっと

 

足には血栓予防のためのポンプがつけられ定期的にふくらんだりしぼんだりします。

左手の人差し指には酸素飽和度をはかる機械をつけられ、口には酸素マスク心電図モニターがつけられ、腕には血圧計おしっこの管も入っています。

管や線だらけです。

酸素濃度をはかる機械

とにかく吐き気がすごい状態でした。吐くものがないのに何度も何度も吐いていました。

でもこの時、お腹の痛みはありませんでした。

ただ身の置き所がないものすごいだるさ。

 

右を向いても左を向いても苦しい。

右を向いてあまりの苦しさに左を向く。

でも、自分ではできない。

助けをかりて左を向くけど、動くとさらに吐き気。

左を向いたところで、その左もじっとしてられない。

そして、また右を向く。

その繰り返し。

とにかく身体を置く場所がありません。

吐き気、ものすごいだるさ、息をするのがやっと、苦しい、とにかく苦しい。

 

吐き気止めの坐薬は何度も使ったけど、まったく効果がありませんでした。

 

あの時は、時間が止まっていました。あまりの苦しさにむしろ眠らせてほしいと思っていました。

あの時はこんなに苦しいなら死んだ方がまし、とまで思っていました。

目も開けられません。

ただ、ただ、数を数えていました。

「1,2,3,4,5,6,7,8,9,10」

「10」までいったらまた「1」からスタートです。

そうでもしないと気が狂いそうでした。

 

その夜は1時間ごとに、看護師さんが来て血圧を測ったりしてくれました。

体を触られているけど目は開けられません。ずっと目をつむったままです。

反応もできない、長い長い、長~い夜でした。

手術のあと

術後1日目 

やっと、やっと朝になりました。

でも吐き気はかわらず、息をするのもやっとでした。

午前中に先生の回診があり、先生たちが何人もわたしのベットの周りにいて、何やら話していたけどわたしは話す元気すらありません。反応することもできません。

ただ、ぐったりしていました。どうにか息してる感じです。どうにか生きてる感じです

 

両手に点滴をしているので、朝の採血は足からでした。足背から採血したことありますか?とっても痛いんですよ!!

でもそんなのどうでもよかった。声も出ません。

 

看護師さんに体を拭いてもらい、着替えをして。

酸素マスク、心電図モニター、酸素飽和度をはかる機械がはずれました。

 

そして驚愕の事実がわかりました。ヘモグロビン6.3mg/dlでした。

えっ!!?

6.3?

正常値が12~15mg/dlなので、半分しかありません。

これじゃあ具合が悪いはずです。納得です。

 

ヘモグロビンは酸素を運ぶ役割をしています。ヘモグロビンが少ないと全身に十分な酸素がいきわたりません。

苦しいわけです。

体が「苦しいよ!酸素が欲しいよ」と叫んでいたのでしょう。

ヘモグロビンと結合する酸素

後から先生が教えてくれました

輸血するかのギリギリだったけどなるべくしたくなかった」と。

 

そうなのか~!

あの時は重度の貧血で、生きているのがやっとだったけど、今思えば輸血しなくてよかったと思っています。

生きるか死ぬかの局面ならそんなことを言ってられないけど、副作用の心配もあります。

だから、先生の決断に感謝しています。

すぐに、鉄剤の点滴と内服が始まりました。

 

貧血が重度だったのは、手術のときに、出血量が多かったのもあります。

28歳の時に手術をしていて、その時の術後の癒着があり、手術で出血が多くなってしまっていました。

 

そして飲水の許可がでました。

寝たままの姿勢でベットをギャッジアップしましたが、少し上げただけで、吐き気とふらふら感がハンパない!

なので、ギャッジアップは途中でリタイア。無理でした。

血圧は80/40mmhg。

 

この頃、熱が38度台まで上がり坐薬を使用しました。

吐き気止めといい、熱さましといい、何回お尻を見られたことか・・・。

 

夕から食事開始です。

五分がゆでした・・・食べられませんでした。

おかゆ

この日は結局ベットから起きれませんでした。

今は特に問題がなければ術後1日目から歩かされます。

その方が回復が早いからです。

でも無理でした。吐き気とふらふら感で、ベットをギャッジアップすることさえできませんでした。

 

お腹の痛みはほとんど感じません。

それよりも吐き気や倦怠感が強かったんです。

夜に家族が来た時に、濡らした冷たいタオルで顔を拭きました。

気持ち良かったな~!!



術後2日目

朝、看護師さんが食事の時間より早めに来てくれました。

時間をおいて何回かに分けて少しずつベットをギャッジアップして、少しづつ慣らしていくという作戦でした。

作戦はまあまあ成功。食べるには十分ではありませんが、少しはベットを起こすことができました。

でも、食欲はなくほとんど食べれず。

お腹はゴロゴロ動いていて、ガスは出ていました。

 

いよいよ歩くことになりました。

看護師さんに見守ってもらい立ってみると、その瞬間目の前が真っ白に!!

血圧がスト~ンと下がる時ってあんな感じなんですね。一瞬で真っ白です。

気力がどうのこうのの問題ではなく、体が無理だと言っていました。

 

だるさはありましたが、ベットの上で座ったり横になったりを頑張って繰り返してみました。

そして午後から、もう一度立ってみることにしました。

リベンジです!!

さあ立てるのか~?

 

・・・・なんとか立つことができました、そして歩くことが出来ました。

一歩一歩かみしめるようにゆっくりとです。

ただ、一歩歩くことに必死。

短い距離を歩くのも必死。

 

この日はおっしこの管が抜けて弾性ストッキングも脱げたのでした。

やっと自分の足で歩き、歯磨き、洗面が出来た時は嬉しかったな~!

歩くのはかなりゆっくりなんですけどね。

自分のことが自分でできるのって当たり前だけどすごく嬉しい!!

そんなことを感じました。

 

夕食はほとんど食べれませんでした。空腹感はあるのですが、わたしはおかゆは苦手なんです。

おかずは少し食べれたけど、すぐにお腹いっぱいに。食べていないと胃は小さくなるんですね。

家族にお願いして夜にプリンを買ってきてもらいました。

あのときのプリン美味しかったなあ~。

プリン




術後3日目

この日から常食

やったあ~!!

朝はパンでした。でも3割くらいでもうお腹いっぱいになりました。

食いしん坊なのに・・・。

 

背中の硬膜外カテーテルが抜けました。抜く時ちょっと違和感はあったけど、痛みはありません。

毎日いろんな管が抜けていき、とうとう点滴も終わりました。

やっと自由の身になりました~!

 

シャワーOKとなりましたがちょっと無理そうだったので、髪だけ洗ってもらいました。

スッキリ!

 

術後4日目

点滴は鉄剤の小さいものだけになり、終われば抜かれます。ずっと点滴につながれているわけではないので、ずいぶん楽になりました。

ご飯を食べると腸が動いてお腹が痛くなります。でも、それほど強い痛みではありません。

 

シャワーを浴びてみました。

動作はかなりのろのろで、スローモーションを見てるかのようです。

かなりスッキリしました~シャワーって最高!!

シャワーを浴びている男性

この頃は、少しづつ動けるようになっていたことが嬉しかったな。

長い距離は歩けず、ちょこっと歩いては横になり「デスノート」見ていました。

 

術後5日目

夜は良く眠れていました。

だるさがあって日中は横になっていましたが、カフェオレを買いに、午後売店まで行ってみることにしました。

 

しかし、売店は遠い・・・。

帰りは途中で椅子に座ってひと休みしてから帰ってきました。ノンストップでは無理でした。

部屋についた時、ホッとしました。すごい旅をしてきた気分です。

食事は残さず全部食べれるようになりました。

 

術後6日目

貧血の点滴は今日で終わり、後は飲み薬だけとなりました。

この日のヘモグロビン7.8mg/dl

すこし改善してきましたが、まだまだです。「貧血があるので無理はしないようにね」と先生からお話がありました。

だるさはありますが、日に日に少しずつ回復しているのを実感できていました。

 

術後7日目

 

抜鈎といって、お腹の傷をとめているホチキスの芯みたいなのを取りました。

腎臓のエコーは問題なし。

内診も問題なし。

「明日、退院してもいいですよ」

明日退院の許可がおりました。

退院する前にすることがあります!

売店にカフェオレを買いに行くこと、のリベンジです。

 

ゆっくりしか歩けないけど、休まず行ってこれた~!

リベンジ成功です。

やはり長旅をしてきた感じの達成感~やったよ~!!

退院の日(術後8日目)

退院する男の子

無事、退院しました。

自宅はいいですね~安心します。

母が来てくれて家事をしてくれていました。わたしはシンママなので、子ども達の弁当などしばらく母が作ってくれていました。

感謝です。ありがとう。

 

この日は自宅のベットでゆっくり眠りましたとさ。

 

さいごに

ひまわり

わたしは、28歳の時にチョコレート嚢胞の手術をして、14年後に2度目の手術をしました。

2度の手術を経験して、2度目の手術の方が、とってもくるしい思いをしました。

一瞬でも、「死んだほうがまし」とさえ思ったほどです。

 

わたしの場合、前回の手術の癒着が影響して、出血量が多くなり、重度の貧血になったからです。

でも、人間の回復力はすごいですね。日に日に、元気になっていくことを実感できました。

苦しい思いをして、子宮はなくなりましたが、あの苦しい生理はもうないというホッとした思いはありました。

 

しかし、この1年後に大変なことになるのです。このときには予想もしていませんでした。

 

その後の大変なこととは・・・

卵巣がんの腫瘍マーカー(CA-125)が1200 すぐに3回目の手術へ」に続く。

 

参考記事 ⇩

私が3度の手術を経て子宮・卵巣とサヨナラしたお話

2 Comments

konma08

こんにちは。とと姉さん。
凄いな。凄いは姉さん。
こんな苦痛を淡々と書かれてる・・・。
私ならデスノートに自分の名前を書いてそう。
当たり前って当たり前じゃないと当たり前の凄さに気付かないんですよね。五体満足でいられる・・・健康であることがいかにありがたいことなのか。
MRI。ほんま工事現場の中に入るみたいですね。怖い人には怖いんやろなぁ・・・。
いゃぁ~お疲れ様ですね。あの頃のとと姉さん。

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totoma1125

こんにちは。KONさん。
突き詰めれば毎日元気でご飯食べてお風呂に入れてることがもう最高に幸せなことなんですよね~。
いつのまにか、あれが欲しいこれが欲しい、となってしましますが・・・

返信する

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